2009年11月28日

vision(赤倉 旧マルサン食堂)

「vision」
直訳すれば、それは「視界」となるのだが、わたし達の視界には、一体どんなものが映っているのだろうか。

ー ー ー ー ー

季節は寒さを増し、11月下旬とはいえ、秋の装いはあっという間に過ぎ、冬枯れの山々が映る。
赤倉の商店のおばちゃんが、
「今年の紅葉はそんなじゃなかったね」
と、言うが、それでも駆け足で過ぎた秋の彩りは、十分に美しかった。

足尾が最も輝く季節はどれか…
誰もが皆「秋」と答えるかもしれない。
でも、夏の景色も捨て難いし、「桃源郷」と比喩される、梅、桜、桃が同時に咲く春の足尾も素晴らしい。

けれど、僕は「冬」を選ぼう。

ー ー ー ー ー

雪が降る。
日光の山々を超えて吹き下ろす、乾いた冷たい風。
雪は粉のように軽く小さく、それでも地表の温度では溶けない。
風花が舞う。
手のひらで雪の粒は、一瞬で溶けていった。
自分の体温が思いのほか温かいことを知る。

夏に訪れた足尾の山は、(公害の原点と言われるものの)思ったより緑が濃い。
ただその緑はほとんど「草」であり、また落葉樹であることを、冬になり知る。
誰かが言ったが『足尾には森が無い』。冬、目に見えている落葉した木立は、ほぼすべてが植林によって生まれた『林』である。
自然としての『森』は無く、人の手で作られた『林』しかない。
本当の足尾の姿は、冬にならないとわからない。

ー ー ー ー ー

赤倉旧マルサン食堂は大正期、すぐ目の前の赤倉製錬所(現存する足尾最大の鉱山施設)とほぼ同時期に、割烹・日本料理屋「日野屋」として建てられたらしい。
それ以降、遊郭的な営業もされていたとも言われるようだが、記録には残っていない。一番近いところでは、通洞にある「喫茶マルサン」(現在は閉店)の店主の親族が食堂として経営していたという。
この建物は、足尾の最盛期から今日までの景色を見つめてきた証人なのである。

ここは2006年に、ひょんないきさつで、喫茶マルサン店主の方と仲良くなり、その日のうちに貸していただけることになった場所で、それから年間通じて参加アーティストの滞在拠点となっている。


ーVision of Archiveー
わたし達はこの場所で寝泊まりし、いったいいくつの景色を見てきたのだろうか。
わたし達が見て来た景色は、とりわけ珍しいものばかりではなく、また、歴史的に貴重なものばかりでもない。足尾、そして渡良瀬渓谷のごくありふれた日常でしかない。それらは、この旧食堂の沿革と同様に、記憶はされても文献に記録されることはない。しかし文章にはならなくとも、数にして年間1万枚近くのデジタルデータとして残されている。これまでの4年間、ざっと単純計算して4万枚の写真がある。つまりは4万回、レンズ越しにのぞき見た渡良瀬の景色がある。
デジカメやケータイカメラが一般化した現在、写真というもの自体が非常に身近になり、ともすればお手軽ゆえに安っぽくも思われるだろう。
しかし、ひとつひとつにそれほど意味はなくとも、量となって初めて見えてくる『視界』があるのではないだろうか。

今回の赤倉旧マルサン食堂での展示は、体裁上は「WAPのアーカイブ」となっているが、ここにはほとんど文章らしき説明は無く、あるのは、わたし達が見て来た景色から作られた、このプロジェクトの持つ『視界』である。

考えてみれば、アーティストには思想・哲学、様々あれど、平たく言えばヴィジュアルの創り手と言うこともでき、景色を見ることは、そのベースとなっている。
言葉よりも明らかな、わたし達の視界を見せること。
それがこの展示の主旨であり、またプロジェクトの現段階でのアーカイブである。

ー ー ー ー ー

冬がやって来た。
けれども私の好きな「本当」の冬はまだ少し先で、その美しさは今は秘密にしておこう。

先日、わたらせ渓谷鐵道の運転手に、どの季節が一番好きか尋ねてみた。 偶然に彼もまた「冬」と答えたのである。


わたし達はこの先も、渡良瀬の景色を採集し続けていく。
わたし達の視界は、より深淵に、またより大きな広がりとなっていくだろう。

_DSC0001.JPG

皆川俊平